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神と宗教を考える

ここのところリチャード・ドーキンスの『神は妄想である』を読んでいて、神あるいは宗教について考えることがある。この本は進化生物学者であるドーキンスが、脱宗教を宣言し、「神を信仰することについてあらゆる方向から鋭い批判を加えた」書である。

神は妄想である

先ずは宗教あるいは神に対する自分の立ち位置を確認してみたい。本書のp79~80には、「神の存在についての人間の判断を、存在確率100%から0%のどこになるか」を確認するために、以下の7つの段階が提案されている。自分はそのどこに当てはまるのか考えてみたい。

1 強力な有神論者。神は100%の蓋然性で存在する。C・G・ユングの言葉によれば「私は信じているのではなく、知っているのだ」。

2 非常に高い蓋然性だが、100%ではない。事実上の有神論者。「正確には知ることはできないが、私は神を強く信じており、神がそこにいるという想定のもとで日々を暮らしている」。

3 50%より高いが、非常に高くはない。厳密には不可知論者だが、有神論に傾いている。「非常に確信は乏しいのだが、私は神を信じたいと思う」。

4 ちょうど50%。完全に公平な不可知論者。「神の存在と非存在はどちらもまったく同等にありうる」。

5 50%以下だが、それほど低くはない。厳密には不可知論者だが、無神論に傾いている。「神が存在するかどうかはわからないが、私はどちらかといえば懐疑的である」。

6 非常に低い蓋然性だが、ゼロではない。事実上の無神論者・「正確には知ることはできないが、神は非常にありえないことだと考えており、神が存在しないという想定のもとで日々を暮らしている」。

7 強力な無神論者。「私は、ユングが神の存在を”知っている”のと同じほどの確信をもって、神がいないことをしっている」。

ユングってそういう人だったんだ。知らずに読んできた(アホ)。

さて、これでいくと私は「6」段階だな。事実上の無神論者だ。お断りしておくが、私は他人がどのような信仰を持っていても、それに対して異議を唱えたり、とやかく言うつもりはないし、そのような筋合いはないと考えている。

それから科学に携わる者として、何かを判断するときには証拠が必要だと考えるし、反証可能性を想定する。標本抽出する際にはランダム性を担保する(ように心がけている)。そうではない結果は先ずは疑う。

一方で、フォークロアには人間の強さ・美しさを感じている。例えそれが(科学的ではない)フィクションであっても、それを生み出す精神性や風土を羨望し、支持する。ある種の物語は人間がその土地で生きていくために必要なモノだと思う。例えば「虹」について(つづく)。
プロフィール

桃姫の飼い主

Author:桃姫の飼い主
南極大陸を横断したグリーンランドハスキー犬『キンタ』を曾祖父に持つ由緒正しい駄犬『桃姫』とその飼い主が綴る、北の空の観天”呑気”

なお、ブログ中の拙い写真・絵画イラスト・文章等の著作権は放棄しておりませんのでご留意ください。

宣言:「私は原子力を利用しない世界を求めます」

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