「国」という枠組み

昨年今年亡くなったシンガーソングライターの村田和人は、札幌のちっさなライブハウスで、ぼそっとこんなことを言った。

「「国」という枠組みをあんまり信じていない」

村田のこのつぶやきは、その時の自分の弦に共鳴したので、その意味を増幅してしまっているかもしれない。また、彼の音楽への愛とは切り離して考えた方がよい、独り言だったかもしれない。もしそうなら申し訳ない!

しかし、余命があまりない中で、地方のそれこそ20〜30人しか入らない小さなライブハウスでの演奏を大切にしていた彼の活動のことを思い出すと、昨今の国家権力を背景にした経済戦争を突き進む日本を含む大国のあり方とは、真逆の営為と思えるのだ。自分にとって大事なことは金銭では測らない、ということ。これは主体が変わっても、換えてはいけないことのように思う。

私が「国」という枠組みに疑問を持つようになったのは、北海道にやってきて住むようになったことが大きいと思う。何より、この地はアイヌという先住民が生きてきた土地で、日本という「国」がそれを飲み込んで線引きをしてしまった土地だからだ。

「国」という枠組みを一端認めると、このようなことは必然なのだろう。ロシアで、中国で、アメリカ合衆国で同じようなことが起こっている。特に「国」の縁辺部で顕著だ。歴史的に新しいので目に付きやすいだけかもしれないが…。次の図書が参考になると思う。既に売ってしまって手元には無いけど…。
辺境から眺める
「それじゃあ、おまえは日本が嫌いなのか?」と問われたら、「日本は好きだ」と答えるだろう。

その風土、その文化、その自然。

ただ、日本が有しているこのような素晴らしさを愛することと、他者が有する同じような誇りを、秤に掛けることはできない、と言っているのだ。

これは中心に居続けては気がつかないことかも知れない。気がついても、相当な想像力を必要とすることだろう。辺境から眺める、ということは、その想像を容易くする一つの方法なのかも知れない。
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桃姫の飼い主

Author:桃姫の飼い主
南極大陸を横断したグリーンランドハスキー犬『キンタ』を曾祖父に持つ由緒正しい駄犬『桃姫』とその飼い主が綴る、北の空の観天”呑気”

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宣言:「私は原子力を利用しない世界を求めます」

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