『星を追い、光を愛して』(ギュンター・ブットマン著)

"JOHN HERSCHEL Lebensbild eines Naturforschers"の訳本。ドイツ語の本だが英訳本
"The Shadow of the Telescope A biography of John Herschel"もある。


星を追い、光を愛して―19世紀科学界の巨人、ジョン・ハーシェル伝星を追い、光を愛して―19世紀科学界の巨人、ジョン・ハーシェル伝
(2009/03/19)
ギュンター ブットマン

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ジョン・ハーシェルの伝記である。ジョンの名を知らない人も多いと思うが、ウィリア
ム・ハーシェルの名はどうだろうか? 18世紀に音楽教師をしながら反射望遠鏡を作成
し、天王星を発見して一躍脚光を浴び、自宅の庭に焦点距離40フィート(12m)・口径
49 1/2 インチ (126cm)という巨大な反射望遠鏡をつくって、我々の銀河の大きさを探ろう
とした偉大な天文学者である。ジョンはそのハーシェルのひとり息子。

この本を読むと、ハーシェルの息子は父をも凌駕する、優れた人間性をもった科学者で
あったことがよくわかる。彼が受けたさまざまな名誉は、当時のイギリスの科学者が受
けることができる最大のものだったが、彼は全くそれに執着する気持ちがないばかりか、
できればそれは「避けたい面倒な事」と考えていたらしい。

彼の特徴は、広く科学全般にわたって興味を持ち続けたことであるが、逆にそのことで
フォーカスがぼやけてしまい、業績ほど名が知れ渡っていないのかもしれない。しかし、
この本を読めば、彼が残してきた足跡の大きさが理解できると思う。父の仕事を受け継い
だ天文学に対してはもちろんのこと、貢献は数学や物理学、化学、生物学へと多岐にわ
たり、各分野に撒いた種は今、見事に結実している。

・ニュートンの難解な「プリンピキア」をラテン語原文で読み(それ自体が稀なことら
しい)、当時フランスやドイツで発達した微積分学の手法を用いて説明し直すという偉
業をなしとげたのは、ジョンと友人のピーコック、イーリィー達であった。「プリンキ
ピア」の英訳本は今も安価に入手することができるが、それを見ると、微積分の(代数
的な)表現が全く出てこないのに驚く。ニュートンは幾何学的な手法を用いて、運動の
法則や万有引力の法則を明らかにしていった。それをエレガントな数学の言葉に変換し
たのがジョンとその友人達であった!


The Principia (Great Minds)The Principia (Great Minds)
(1995/06)
Isaac, Sir Newton

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・天文学では、星の位置を正確に測定する装置や星の相対的な明るさを決める手法を開
発し、それを駆使して、南天も含めた全天の星雲・星団のカタログと二重星のカタログ
(未完)を作成した。また全天をいくつかの細かいエリアに区分して星の数を数え、星
の密度分布図を作成した。それは父の仕事の継承であり、我々の銀河系の構造を明らか
にすることが目的であった。しかし、真の意味でそれが可能になるのは、ヘンリエッタ
・リービット(女性)がケフェウス型変光星の周期-光度関係を発見した後(1908年)、
シャープレイが球状星団の分布から銀河系の大きさを推定するまで(1918〜20年)待た
なくてはならなかったのだが…。

・ジョンはプリズムと小さな望遠鏡を組み合わせた分光器を開発し、いろいろな化学元
素が炎の中に置かれた場合、それぞれ特有の色光を示すことを発見した。これは後に、
太陽を初めとする恒星のスペクトル解析に繋がり、さらにドップラー効果の発見によって
宇宙の大きさを推定することにに繋がった。

・ジョンは写真技術の創始者の一人と見ることもできる。フランスのダゲールが感光性
の銀塩を用いて映像を定着する手法を考案し、それを聞いたジョンは持ち前の実験化学
の豊富な知識を使ってより効果的で実用的な手法を開発した。写真”photography”、ネガ
"negative"、ポジ"positive"という用語を当てたのもジョンであった。

・ジョンは写真技術の発明者と主張してもよい立場だったが、彼はそれをしなかったし、
特許を申請することもなかった。そのような控えめな傾向は彼の行動全般に見られたわ
けが、それは彼がお金に困らない立場にあったことも大きいように思われる。しかし、
そればかりではなく、それ以上に自然に対する純粋な好奇心の方が勝っていた、と捉え
た方がよさそうだ。この本からはそのような印象を強く受ける。

・彼は家族との時間を非常に大切にする人だった。何かの用事で家族と数日間会えない
日があると非常な苦痛を感じたようだ。年の離れた奥さんとの間に11人もの子供に恵ま
れた。息子達はそれぞれ学問や行政の世界で活躍し、娘達は芸術の分野で才能にあふれ
ていた。特に三女ルイーザはそうで、彼女の筆による父ジョンの肖像画が掲載されてい
るが、鉛筆で素朴に描かれた肖像画には父への尊敬が感じられる。最後に生まれた娘は、
後にケンブリッジ大学からハーシェル家の年代記を出版している(1938年)。

ジョンは大衆向けに当時の科学を分かりやすく解説した著書を多数残した。現代の私た
ちにもそれはとても有益な示唆を与えてくれるに違いない。ここではかのダーウィンが、
「自分の研究生活に最も大きな刺激を与えたもの」と告白した二冊の本のうちの一冊
(もう一冊はフンボルトの『新大陸赤道地帯の旅』)をあげておきたい。
読まなくちゃ!

”Preliminary discourse on the study of natural philosophy (1851)”

p.s
先日、『恐竜を発見した男』を読んだが、その中にジョン・ハーシェルが登場する場面が
6カ所あった。そのことを訳者のお一人にお伝えしたところ、自分もその本を読んでみた
いとのご返事をいただいた。何かの参考になれば幸いです!
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桃姫の飼い主

Author:桃姫の飼い主
南極大陸を横断したグリーンランドハスキー犬『キンタ』を曾祖父に持つ由緒正しい駄犬『桃姫』とその飼い主が綴る、北の空の観天”呑気”

なお、ブログ中の拙い写真・絵画イラスト・文章等の著作権は放棄しておりませんのでご留意ください。

宣言:「私は原子力を利用しない世界を求めます」

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