物語に沿う傾向

人は、ある種の頭に描いた物語に沿うように頭を働かせる傾向があるのではないだろうか。

例えば、顔見知りになったばかりのある人を”善い人”と思いこむような傾向。
大してその人のことを知りもせずに、そんなことを思ったりしていないだろうか。
実際に”善い人”のこともあるのだが、”エッ”と思った矢先に裏切られる、なんてこともママある。
私にはそんな傾向がある。
自分が会っている人は善い人だ、という物語。

例えば、ある種の本を集めだすと、芋づる式に次から次へと買わずにはいられなくなる。
気がついたら本の山の前で身動きが取れずに立ちつくしている、なんてことがママある。
私にはそんな傾向がある。
次々に目にとまるこれらの本はきっと自分にとって大切な一冊になる、という物語。
特に本を読む前に参考文献に目がいくような御仁は要注意ですぞ!
それはこんな言葉で助長されたりもする。
「必読・必携な」「不朽の名著」「美しい文章で綴られた」「記念碑的名作で」「重宝し」「見事な」…。

例えば、「ある人の頼みは断れないんだよなぁ」という経験はないだろうか。
今日は何があってもお断りしよう、と考えていても、その人と話している内に承諾してしまっている。
その人は、意識的にか無意識的にか、相手が「ウン」と言うように会話の流れを作っている。
私はそれに抗えない。そんな傾向がある。他人が作る物語は悪くない物語である、という物語。
私はそれに対し、目の前に提示された物語を追ってしまう傾向がある。
まるでネコジャラシを追う猫のように…。

先日、期待していた娘のミニバスの試合があっさり2回戦で負けてしまった。
私は中々そこから立ち直れずにいた。
第三者から見ると、勝ったことのないチームに善戦したが僅差で負けた、というだけの話。
しかし、私の頭の中には様々な物語ができあがっていた。
ストーリーは予選敗退という現実によってプッツリと絶たれた。
絶たれたが、脳の中はまだその流れを継続させたい、という力(ベクトル)が働いていた。
それが苦しみを生んでいたのだろう。

何が言いたい、というワケではないのだが、少なくとも私にはそのような傾向が顕著にある。
そういうことだけは分かってきた。
分かってきたので、さあどうしましょうか、というのは今後の課題というところです。
プロフィール

桃姫の飼い主

Author:桃姫の飼い主
南極大陸を横断したグリーンランドハスキー犬『キンタ』を曾祖父に持つ由緒正しい駄犬『桃姫』とその飼い主が綴る、北の空の観天”呑気”

なお、ブログ中の拙い写真・絵画イラスト・文章等の著作権は放棄しておりませんのでご留意ください。

宣言:「私は原子力を利用しない世界を求めます」

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