揖斐川町の鳥

帰省の折、台風21号が猛威を振るった翌日、実家の近くの川沿いを鳥を見て歩いた。
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見た順番に種名を並べると、チョウゲンボウ、ハシブトガラス、ノスリ、ハクセキレイ、トビ、シロチドリ、ヒヨドリ、アオサギ、キセキレイ、モズ、カルガモ群、キジバト、サシバ* 、ダイサギ、スズメ。

*サシバは恥ずかしながら初めて見た。しかし、近傍の渡りの観察ポイントである岐阜県金華山のデータを見ると、今シーズンのサシバの最後の記録は10月10日になっている。過去の記録を見ても、定規で測ったように10月10日前後が最終確認日となっている。ううむ、見間違いか?しかし、ハイタカ属ではなかったし、ノスリ、ミサゴ、ハチクマではなかった。

秋色のサイクリングロード

昨日は久しぶりにエルフィンロードで北広島まで往復してきた。
すっかり秋色で、今がピークか、少し過ぎたころ。気持ちが良い。
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私は鉄っちゃんではないが、風景に列車が入るのは嫌いではない。
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むしろアクセントになって、良い感じだ。JRをもっと利用したいが、いかんせん高い!
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How could you make such a terrible mistake?

頼んでもいない本が届いた。当然、文句を言った(一応、英語で)。

返金に応じる。本は返送しなくてもよい。そちらで有意義に使って欲しい、との返事。

後対応には納得したが、しかし何故、このようなことが起こる?

To The Better World Books

昼飯を買いにパン屋へ

広島の娘にオススメされたパン屋(円山にある)に行ってきた。なにやら日本一の食パンとの触れ込み。
http://nogaminopan.com/shop/sapporo/

開店前15分に行ったらすでに40人ほどの行列。ところが開店時間になってもいっこうに開かず、しびれを切らした一人の客がのれんを潜ってみたところ、「臨時休業」の紙が貼られていた、とのこと。私は車を駐車できず、少し離れたところに待機していたので、詳細はカミサンから聞いただけだが、ちょっと信じられない対応に唖然。

集まった客は三々五々散っていった。千歳からわざわざ買いに来た客もいた模様。心中お察し申し上げる。

その後我々は、東急ハンズに行き、トイレのパッキンを注文。今朝からトイレのタンク内の水漏れが止まらないのだ。到着まで一週間くらい掛かるとのこと。どないしよ。

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『利己的な遺伝子』(リチャード・ドーキンス)ほか

リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読み直している。その過程で、訳者の垂水雄二氏の『進化論の何が問題か』を読み、多くの気づきが得られたので紹介したい。

この本は、進化生物学者にして稀代の文筆家・科学啓蒙家であるドーキンスとグールドの論争を軸に、進化論を様々な側面から紹介している。

私はこれまでグールドの著作に親しんできたが、彼の生い立ちを意識せずに読んできた。それを知ることは、グールドが何にこだわって書いてきたのかを理解する助けになることを知る。垂水氏によると、彼はハンガリー移民の子孫としてニューヨークの片隅で育った。長じてエルンスト・マイヤーの後継となる。一方、ドーキンスはアフリカで生まれ、貴族の末裔としてイギリスで育った。彼の師は動物行動学者のティンバーゲンであった(ドーキンスの著書によって、動物の行動も(淘汰の結果としての)遺伝子によって方向付けされている、という当たり前の事実に改めて気づかされた)。

それぞれが生活する国の宗教的な事情が異なっていたことも、二人の違い生み出す一つの要因となったようだ。グールドが生活したアメリカは聖書の内容を重視する福音派プロテスタントが優勢で(大統領選挙にも影響するという)、ドーキンスが生活したイギリスは科学的事実に対して比較的寛容な国教会が優勢であった。

二人は互いの著書で激しい論争を展開してきた。ドーキンスの決定論的・還元論的な視点に対して、グールドの全体論的・非決定論的な視点という相違がある。しかし、著者の考えでは、二人はみかけよりもそんなには違わない。二人ともダーウィン進化論を指示し、創造論に対して批判的である。そしてリベラルな傾向は共通している。

このリベラルということに関して、著者の定義が秀逸だった。
「…なにをもって政治的な左派ないしはリベラル派と呼ぶのか、意見のわかれるところだろう。私の定義は単純で、人間社会における社会的・経済的格差の縮小をプラスの価値とみなす態度の持ち主のことである」

そして著者の立場があきらかにされる。
「人間の心のなかに他者を思いやる心が生得的にあるというのは喜ばしい話だが、自らの帰属集団のメンバーに対してのみ親切で、その他のメンバーには敵意をもってするのであれば、それは形を変えた利己主義にほかならない。普遍的な利他主義というリベラルな目標を達成するためには、帰属集団を国や民族を越えて拡大し、全人類を自らの帰属集団とみなすような考え方が必要になる」

「ところが、人間は普遍的な社会で育つわけではなく、個別の地域社会のなかで特有の道徳的・倫理的な習慣をすり込まれて育つので、人種や民族の壁を越えることは、きわめてむずかしい。政治的リベラリズムの究極の目標はほとんど実現不可能と言っていいのかもしれない。そのうえ、それが本当に正しいという科学的な根拠は存在しない。あくまで、それは一つの倫理的判断でしかない。しかし私は、ドーキンスとグールドの同時代人として、彼らのリベラリズムという選択を是とするものである」

私も著者の考えを支持する。

これから二人(ドーキンスとグールド)の著作を読もうという方には、垂水氏の本は入門書としてオススメしたい。内容は決して平易ではないけど、知的な刺激が得られる、という意味で。

(この章 つづく可能性あり)

昨日の夕刻の空

一挙に秋が深まってきた札幌。裏山の紅葉はもうちょいってとこ。
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空は冬の空。日本海から入り込む積雲の塊に当たると雨。
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ハロ 環天頂アーク

夕方、空が賑やかになってきた。巻雲&巻層雲&高積雲などなど。上空に強い風が吹いているらしく、瞬く間に様子が変化していく。
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22°ハロが見えてきた。
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最後は環天頂アークだ。
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カズオ・イシグロ

とても苦しい時期にふと差し伸べられる手や暖かい言葉に癒やされる、そんな経験はないだろうか。その経験はその人にとって、その後ずっと心に残り、心のより所になることもあるだろう。一方で少しの善意から手を差し伸べた人、言葉を掛けた人にとっては、そのことは普通のできごとで、記憶にも残されていないかも知れない。そんなすれ違いは世の中に沢山あるのだろう。

『私を離さないで』を読んで時間が経過してしまい、ストーリーを正しく記憶していないけど、そんな切ないイメージが残っている。物語の本質とは離れているかも知れないm(_ _)m。『日の名残』はとても静かな物語。眠くなるのを我慢して読み進めていくと、ラストは清々しい余韻が残る。

いずれも翻訳は土屋政雄氏。私は『栄光と狂気』(ハルバースタム著)以来の土屋ファン。彼の翻訳でカズオ・イシグロの作品を読める幸運を感じている。

Moon Light 2017

暗闇に斜めから差し込む月光は、日常のありふれたモノを舞台装置のように浮き上がらせる。それら全てが銅版画のモチーフになりそうだ。

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雪虫が舞い始めた

今シーズン初めて雪虫を見た。札幌は秋の色が濃くなってきている。
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雲もところどころで雨を降らせている。時雨っぽい。
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ぱらっと雨が来た!
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形のないものを目指す

ついついモノに頼ってしまう。

何か傍にあれば安心してしまう。

しかし、そのモノは、そのモノだけでは自分に何も生まれない。

自分の中に、気づきのようなものを懸命に蓄えていくしか手段はない。

たとえ自分が滅びるときにそれが一緒にこの世から失われようとも。

それはとても辛いことだけれども。
プロフィール

桃姫の飼い主

Author:桃姫の飼い主
南極大陸を横断したグリーンランドハスキー犬『キンタ』を曾祖父に持つ由緒正しい駄犬『桃姫』とその飼い主が綴る、北の空の観天”呑気”

なお、ブログ中の拙い写真・絵画イラスト・文章等の著作権は放棄しておりませんのでご留意ください。

宣言:「私は原子力を利用しない世界を求めます」

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